日本のワイン王といわれた明治の実業家・神谷傳兵衛の別荘として大正7年に建てられた洋館です。当時、母屋のある木造雁行型の和館とゲストハウスの洋館が隣接していましたが、洋館のみが残り、一般公開しています。全国的にも希少な初期の鉄筋コンクリート建築で、大正12年の関東大震災でも崩れることなく今に残りました。
神谷伝兵衛は、浅草の電気ブランの「神谷バー」や茨城県ワイン醸造場「牛久シャトー」の創始者として知られ、生涯を日本人のためのワインづくりに捧げた人物です。
稲毛が海辺の保養地だった頃の記憶を物語る建物としても価値があり、国登録有形文化財に指定されています。

概 要

施行:大正7年(1918年)
設計者:不明
構造:鉄筋コンクリート造、地上2階、地下1階
延面積:291㎡
文化財登録:平成9年 国登録有形文化財

開館時間:9:00~17:15
休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始(12月29日~1月3日)
入館料:無料
団体見学:7名以上でお越しの場合は事前にご連絡いただくとスムーズにご覧いただけます。資料の配布も対応(要予約)。学校の団体見学もご相談下さい。
TEL:043-248-8723

建築のみどころ


外 観

 外壁は円柱に支えられた5連のアーチが洋館らしく、細かい白色タイル張りの外観やファサードの直線的なデザインはアールヌーボーやゼセッソンの影響を受けており、その後のモダニズムにも通じています。ベランダは海を眼下に望んだいかにも別荘らしいものです。


玄関ホール

緩やかなアールの階段が続く吹き抜けのホール。階段には欅の一枚板が用いられています。持ち送りが施された天井の中心飾にはワイン王・神谷傳兵衛らしい葡萄のレリーフが見られます。


1階洋間

応接間として使用されていた洋間です。木の色合いをいかした幾何学的な模様の床は寄木によるものです。応接間には大理石をベースにビクトリアンスタイルの絵描きタイルをはめ込んだ暖炉があります。


2階和室

本格的な書院づくりの主室の天井は囲炉裏にいぶされた煤竹に縁どられた折り上げ格天井になっています。床の間の床柱は神谷傳兵衛らしく葡萄の古木を大胆に使用し、主人の思いを伝えます。付け書院の欄間は葡萄の透かし彫り、中央には伝兵衛が作った「蜂印香竄葡萄酒」にちなんだ蜂もデザインされています。この障子には漆塗面に蒔絵の下飾が施されています。広縁の先には外観の洋風デザインと溶け合うアールコープがあります。


地 下

旧神谷邸にはワインの貯蔵に使われていたとされる地下もございます。


神谷傳兵衛

 1856(安政3年)、三河国幡豆郡松木島村(現・愛知県西尾市)に生まれた神谷傳兵衛は、わずか8歳で酒造家になることを夢見て、商売見習いや行商などをしながら経験を積み、17歳のとき、横浜のフレッレ商会に雇われ、洋酒製造法を習得します。その頃、体調を崩しますが、フランス人の雇い主にワインを勧められたところ、みるみる元気になったそうです。傳兵衛はこの体験から、ぶどう酒に滋養効果があることに気づき、将来国内で洋酒の醸造行うことを決心しました。
 明治13年に「神谷バー」の前身「みかはや」を浅草に開業。その後、当時ワインになじみのなかった日本人でも飲みやすい「蜂印香竄葡萄酒」をつくり、日本中でヒットしました。
明治26年には神谷バーの看板メニューとなる「電気ブラン」の販売もスタートし、事業を拡大していきます。
 日本人向けの混成洋酒にあきたらず、傳兵衛はフランスのブドウ苗を用いた本格的なワイン造りに挑みます。明治30年に茨城県の原野にブドウ畑を開墾し、明治36年にはワイン醸造場・神谷シャトーを作り、世界各地で高い評価を得るワインを完成させました。大正11年、66歳で逝去するまで、人生をワイン作りに捧げた人物です。

蜂印香竄葡萄酒

輸入ワインに蜂蜜や薬草などを加え再製した混成葡萄酒。「香竄」は伝兵衛の父親の雅号。

電氣ブラン

ブランデーをベースにジンやベルモットをブレンドしたカクテル。当時のアルコール度数は45度。

牛久シャトー(シャトーカミヤ)

茨城県稲敷郡(現・牛久市)に建造された日本初の本格的なワイン醸造工場。現在、国指定登録文化財として一般公開されています。
(画像提供:牛久シャトー)

神谷バー

明治45年に酒の一杯売り「みかはや」を洋風にリニューアルして以来、今も変わらず営業中。電氣ブランやハチブドー酒も味わえます。
(画像提供:神谷バー)